冬休み前

スマホ依存

前の記事からの続きです。

■ルーターを巡る攻防

留年を避けるため、改めて「毎日高校に通う」と決めたE太。
体育に参加してひどい筋肉痛に襲われた翌日に休んだりなどしながら、
なんとかかんとかがんばっていた。
休んだ日に電話してきてくださった先生に、
「自分のことだけど、どうしたらいいかわからない。」と話していた。

学校に行くためには夜寝ないと朝起きられない。
朝起きられないと私の手間が増え、仕事に遅刻するので困る。
だから夜はWi-Fiのルーターを外して私が隠して就寝していた。
「スマホは何時まで」とか「何時間まで」という約束をしようとしても
絶対に応じないので、そうするしか思いつかなかったのだが、
にらんだり貧乏ゆすりをしたりして外すのを妨害してきた。
こちらも放置していいならしたかったが、
結局私に返ってくるので、せざるを得なかった。

■決められた時間に合わせることの苦しさ

こんなこともあった。
ある土曜日、知人の紹介で近所の動物病院に猫の去勢手術を予約したが、
その日は高校のマラソン大会の日だった。
通常通りの時間に高校にE太を送れていれば、9時の手術予約時間に間に合うはずだったが、
その日の朝も行く、行かない、やっぱり行く、と葛藤があり、
結局動物病院は間に合わず、受付の女性の応対の様子から、獣医さんに相当嫌われたことを感じ、へこむ。

土曜日は高校から帰りに乗るいつものバスがないので、
夕方E太をお迎えに行き、心も体もへとへとながらB子の誕生日のお祝いの準備をした。

子どもたちをサポートする私も否応なく精神状態がジェットコースターのようにめまぐるしく
変化せざるを得ないので、負担が大きかった。

平日と祝日は仕事なので、土曜日に何か用事を済ませることが多かったが、
とにかく予定が立たない。

時間。

決められた時間に合わせるということの難しさ。
時間なんてものがなければいいのに、と何度も思った。
または、「決めておいてもうまくいかないこともある、幼児でなくても。」
という認識が、社会で当たり前になってほしいと何度も願った。

苦しかった。
いくら先読みして手立てを講じてあっても、E太が動けないときは動けない。
急かすこちらも苦しい。努力は無駄になることも多々で、
そういう心の準備もできる限りしてはいるけれど、くたびれるし、萎える。
どうせここでがんばっても無駄になるんだろうと思えばやる気が失せる。

「ゆっくりでいいよ」「気にしなくていいよ」と言える場合はもちろん言った。
でも、どうしてもそうできない場合もたくさん。

いっそ高校辞めたっていいんだよ、と何度も言った。
他にも選択肢があるよ。

でも、その選択肢の先が確実に明るいのかといえば、それは誰にもわからない。
そういう「不確実性」が、E太はとても苦手なんだろうと思う。

これまでにも、何かを選ぶとき、確実じゃないならいいや、と言ったり、
確実なことが断言できない場合にはやる気が失せたりということがしばしばあった。

■補講の説明会

冬休み直前に、補講の必要な生徒は保護者も一緒に説明会に参加する。
12月初めに説明を受けてからも欠席があったので状況は悪化しており、
留年しないためには冬休みの補講を受けるしかないとのこと。
さらに春休みも3月末ギリギリまで補講が必要になるというようなお話だったかと思う。

19時まで各先生を回ってハンコをもらう儀式があって、私は同行はせず待たされていたのだが、
職員会議では補講を組んでも来ないのではという意見もあったとのこと。
「今まではなめてました」「変わります」と先生方に伝えながら、
「スマホ、お母さんに預けた方がいいと思うけど?」との促しには
頑なに「自分でできます」と答えていたとのこと。

■冬休み直前の補講

その後、冬休み開始までは、遅刻しながらも、とにかく朝から学校に行った。
冬休み開始前から放課後に補講があった。
帰りに「学校で泣いたんだ」と報告あり。
「悔しかったのかな、勝手に涙が出てきた。」
こういうとき、淡々としているのが彼の持ち味。
恥ずかしいでもなく、気まずいでもない。
そこをかっこつけて突っ張らないのは、いいところだし、魅力だとも思う。

先生が席を外したが、図書館で調べたかったことがあったので黙って部屋を出たら、
怒られた、と。
「ちょっとくらいいいかと思って。」

反抗的なことをしようとしたのではなく、
本当に必要があったけど先生がいなかったからということではあった。

この続きは以下の記事をご覧ください。

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