■顔合わせ
フリースクールに週一回、数回通ったところで、自治体の教育支援センター(適応指導教室)というものがその前年度から始まっていることを知った。
担当の方に電話してみると、やわらかい話し方の女性。
「関わりたい」という想いが感じられる。
「一度いらっしゃいませんか?」とお誘いいただき、B子と一緒に訪ねて行った。
役所の一室で顔合わせ。
B子は警戒してキャップを深くかぶって顔を隠し、よかったら、と勧められたマンガを読んで知らんぷり。
ざっと状況を説明し、「行事のときとかは行けているんですけど」というと、
「行事で行けてるんですね、それだけで100点満点です♪」と先生はにっこり。
ありのままでいいんですよ、というメッセージ。
B子はそれをちゃんと受け取った。
その場で翌日から来る、と決めた。
そういうとき、とくに目を輝かせてわくわくした様子を見せるわけではない。
「通ってみる?」と私が問いかけ、
先生の方はいつからにしましょうか、なんて話をしようとしてたのに、
「え、何を待つの、行くって言ってるでしょ」とふいっと言う。
あ、ああ、そうなんだ。
こそこそっと、B子と私で話す。すぐ行きたいのね?明日からなのね?と確認し、
「明日から来たいそうですけど、いいですか?」と先生に伝える。
先生はまだ、B子が何を考え、どう行動し、どう表現するのか知らない初対面にも関わらず、戸惑いも見せずに
「わあ、よかった!うれしい~!」と笑顔を見せてくださる。
ここなら大丈夫かも、と思った。
■通い始め
何しろ、フリースクールは一回ごとにお金がかかり、バス代もかさむ。
こちらは自治体教委の組織なので、無料で利用でき、しかも、送迎もしてくれるという。
毎朝、仕事に行く前に、「今日はどうする?」と確認し、学校なのか、フリースクールなのか、途中から行く(その場合は祖母に送りを頼む)のか、と確認と調整に苦労していたが、方針だけ決めておけば、お任せできるのだと。それだけでも私としては救われる思いがした。
フリースクールも気に入っていたが週1回なので、行きたければ行けばいいし、そのほかの日にも行く先ができたということで、ほっとした。
利用している子は、他に2名ほど。
広い自治体なので、送迎可といっても先生方のやりくり次第で難しい場合もある。
その場合は、私や祖母も動ける限りはやります、と相談して、通い始めた。
■家庭の状況
夏の昇格試験で不採用となった私は、当時、転職をしたばかりだった。
あの昇格試験の面接で「転勤はできません」と言ったのも、
それを伝えたうえで採ってもらえるのかどうかの確認という意味合いもあったのだ。
こんなに不安定な下の子を、転勤で転校させたりしたら、転勤先での出勤もままならなくなってしまうだろう。B子はお友だちが好きで、みんなと離れるのは嫌という気持ちははっきりと持っていた。
実際にそのせいで不採用だったのかどうかは確かめようがないけれども。
上の子が高校に上がる際には児童手当がなくなるうえにもしかしたら寮に入ることになるかもしれず(この地域では高校で親元を離れる子は非常に多い。東京から移ってきてびっくりしたことのひとつ。そしてまた、子持ちが過疎地に住むことのハードルを高くしている要因のひとつ。)、今の仕事は昇給なしの5年で雇止めで、今の暮らしでギリギリ。これ以上支出が増えるなら持たない、とひやひやしていた。
ちなみに、近頃は転勤離職が問題になっていて、厚生労働省が指針を出しているほど。
→「転勤に関する雇用管理のヒントと手法」
https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000158686.html
1000円もしない時給で昇給なしで5年で雇止めという働かせ方も、組織としてどうなのか、とはずっと思っている。
そういうわけで、それまでの職場より少し遠いところに、新しい仕事を見つけ、通い出したところだったのだ。
前の仕事は、お給料はさておき、上司も先輩もものすごく素敵で、これまで働いてきた中で最高の人間関係だったし、仕事内容も性に合っていたので名残惜しかったけれども。
新しい仕事は、通勤時間がこれまでより長いために家事の時間が減り、仕事の分量もかなりのもので、慣れるまでには相当の努力が必要だった。
頭をフル回転させて懸命に処理して帰宅し、なんとか夕飯を作って食べたらもうエネルギーが枯渇して動けない、という状態だった。
■センターに慣れる
そんななか、教育支援センターのサポートがあったのは本当にありがたかった。
「とにかく家にこもらず出てきてくれたらうれしい」と誘い出してくれる先生方のおかげで、紆余曲折はあったが、だんだんと馴染み、センターがB子にとってだいぶリラックスできる場となっていった。
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