不登校1年目の運動会

不登校

■不安の中で

歯科恐怖症のB子は、歯が欠けた小学5年生の6月以降あちこちの歯医者にかかってきて、
夏休みはやっと見つけた忍耐強い女医さんの歯科医院に通っていた。
しかし、何度通っても自分の怖がりのせいでやっぱり治療には進めない。
そういう絶望と不安の真っただ中の頃に、運動会があった。

■揺れる

B子は運動が得意、行事も大好き。
例年通りに運動会で活躍したい。
それなのに、すっかり自信をなくして、不安で、学校にも行けず、
運動会の練習にも参加できないから、せっかくの運動会にも参加できないかもしれない。
そういう不安の中、来週末には運動会本番、という頃。
集団登校の時間に少し遅れて、
学校の支度をして私が出勤前に学校の裏まで車で送っていった。
私の出勤時間のことを考えると結構な綱渡りの時間なのだが、
B子は色々な不安が渦巻くようで、車から、すっとは降りられない。
「行きたければ行けばいいし、行きたくなければ無理しなくていいんだよ」と伝える。
「お母さんは仕事に遅刻しちゃうかもってことで焦ってるだけで、
あなたにどうしても学校に行ってほしいと思ってるわけじゃない。」
「運動会に出たければ練習には参加しといたほうがいいと思うけど、
運動会だって無理して出なくてもいいんだし。」
というと、意外な答えが。

■誰のための参加なのか

「だって、ママもおばあちゃんも(B子の活躍を)楽しみにしてるのに」というのだ。
そっか、重荷を背負わせちゃったのか、と慌てて、こう伝えた。
「そういう義務感で行かなくちゃと思ってるなら、運動会に参加しなくてもいいんだよ。
もし本当にお母さんとかおばあちゃんのためと思ってるなら。
私たちはB子が苦しんでまで参加して活躍するのを見たいんじゃないから。
楽しい気持ちで参加できるならしてほしいけど、そうじゃないならそんなことはしてほしくない。」
その日は、学校に入れなかった。

■決断とその後

でもそのあと、彼女なりに考えて決めた。
「やっぱり練習に参加する。」
運動会に参加するのは、親やおばあちゃんが喜んでくれるからそのため、と
思い込んでいたけど、よく考えたら、それだけじゃなかった。
やっぱり自分が楽しいから参加するのだ、と確認できたようす。
それでだいぶ吹っ切れて、予行演習の前日だったかに初めて練習に参加できて、
ダンスや応援合戦の振り付けやら、その他の段取りを覚えて、
予行演習をスルッとこなして、本番も何食わぬ顔で参加した。

■その他の事情

あの夏は、本当に、色々ありすぎた。
E太は受験生。部活を引退して高校見学したりしていて、落ち着かなかった。
私も高校生を抱えるならもうちょっと収入増やさねばなるまいなどと考え、
職場で正社員登用試験を受けたら、去年は一次で落ちたのに、今回は二次に進んでしまい、
本社のある東京で面接を受けることになった(転勤はできませんと伝えたら落ちてしまったが)。
その週末は他にも用事を入れていて、それは延期できないものだった。
そこへ、ゆっくりな台風がとつぜん進路をカクッと変えたりしたせいで、
運動会は本来予備日ですらなかった日曜日に開催されることになり、
ばっちり私の予定と重なってしまった。

■本番へ

というわけで、あんなに不安定なB子を残して出かけねばならず、
直前のサポートもできず、弁当も作ってやれず、本番も見てやれないという状況に。
しかし、それならそれで、お互いがんばろうねという話をして、
B子もむしろ気が引き締まったような感じだった。
不安な分、私に依存しているようなところもあって、
見ていてちょっと心配だったけど、今は甘えたいんだろうな、と思っていた頃。
近所に住む私の両親にすべてを任せて出かけたが、本番は順調だったとのこと。

■表の顔と裏の不安

いつもそうなのだ。
表の顔は、不安などみじんも見せない「何食わぬ顔」。
家で見せているのは、大きく感じている不安の、「すべて」。
だから、外の世界でB子を見ている人は、B子が取り乱している姿が想像がつかないらしく、
「B子ちゃんが不登校?」と、納得いかない様子。
ほかの行事でも、直前まで不安や心配で取り乱していても、
参加しているときは何ともない様子で、
練習が必要なものも、お友だちにカバーしてもらいつつも、さらっとこなしてしまう。
なるべく本人の、みんなの前では何食わぬ顔を取り繕いたいという希望を叶えるために、
その落差を埋めるサポートをする私は、おろおろ、いらいら・・・、かなり消耗していた。

<B子のなかよしKちゃんの「巣」>

■迷う余地はあまりなし

でも、不思議と、今はいったいどうすべきなのかなどと私が迷うことはあまりなくて、
B子の反応を見、母(B子の祖母)に愚痴をこぼしたりしながらも、
今ここですべきはこれ、という答は都度都度すぐに出ていた。
ことばで教え諭す理性的な子育てに憧れていた若き日の私には想像もつかないことだったが、
ことばでいくら伝えても、思い込みを修正できない子はいるし、
またはそういう段階というものがある。
経験上、B子が決めたことに対してこちらがいくら口で言っても変わるわけではない、
待つしかないし、待てば変わることもある、などの法則がわかっていたからなのかなと思う。
つまり、私には選択肢はほぼないのだった。

<運動会の日に別の場所で咲いていたヒガンバナ>

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