歯科恐怖症と不登校:B子の歯科体験記(2)

歯科恐怖症

前の記事からの続きです。

■歯医者問題再燃

歯医者の件は、だいぶ放置した。

小学4年を通り越して5年生の6月まで。
生まれたときから意志が非常に強いB子のことだから、
それでも最初からすべてあきらめたわけじゃないけれど、
周囲がどんな手を使ったとしても、
本人が行くと決めなければどうすることもできないというのもわかっていて。
なんとかその決断に至るように、できる限り仕向けたつもりだったが、
まあ、時間が必要ということだろう、と。

私自身、子どもの頃、自分で予約して行ってきなさいといわれてから
だいぶ放置していた経験があるので、
「痛くなれば行くだろう」と、そこに望みを託していた。
しかし、不思議なことに、いっこうに痛みが出る気配はない。

と、心配していたら、横穴から広がった虫歯で空洞になっていたらしく、
ある日突然、歯が欠けたのだった。
そのときのパニックといったらすごかった。
なにせすごかったとしか覚えていない。
確か取り乱して私の仕事中に電話してきたと思う。

■B子思春期の入口

さて、B子の4年生の担任は若くてとても真面目で熱い男性で、
思春期にさしかかった女子がどうも冷たくしたくなっちゃうタイプ。
私は一生懸命してくださっているのにな~と申し訳ない気持ちがしたものだが、
例えば提出した日記に先生が書いてくださったコメントについて、
「長すぎてノートがもったいない」と本気で腹を立てたりしていた。

最近は批判も聞こえてくるようになった「2分の1成人式」が行われる学年で、
B子は、地元育ちじゃない自分、
男の子と女の子でグループが分かれてきてるけど
男の子気分でいるほうが性に合っている自分、
などを意識しだして、「あれ?私ってほかの誰とも違う?」という不安を感じたところがあったように思う。
そんなもやもやを抱えた4年生が過ぎ、5年生では担任が持ち上がりだった。
B子としては「もう1年この先生?」というショックが大きかった。

■兄の部活と家庭の事情

そしてまた、別の面からもB子に大きな負担だったと考えられるのが、
E太の中学校の部活である。
E太が中1のとき、B子は小3。
私の経験からは想像もつかなかったが、過疎地の車社会では、
中学生の部活は保護者の送迎がないと成り立たない。
いや、成り立たせるやり方はあるだろうと私は思うのだが、
保護者の送迎なしでは成り立たないようなやり方がなされている。
とにかく土日ごとに、大会出場、それがなければ練習試合が組まれ、
選手が行くなら保護者も自動的に出動という体制。
人数が少ないので送迎班も作れない。
月曜日から金曜日まで仕事をしていて、週末は部活でまったく休みがない。
試合のない土曜日なら午前中は通学バスと同じ時間のバスに乗って部活に行くE太を送り出し、或いは、試合の送迎なら早朝5時半とか6時に中学校に集合して会場に向かう。
金曜日に「わあい週末!」とぬか喜びし、
週末には平日より早起きして弁当作りや送迎をがんばり、
月曜日にくたびれ果てた体でなんとか出勤して事務所の椅子でほっとし、
月曜の夜に夕飯もそこそこにばったり倒れこんで早寝し疲労を若干解消、
火曜日の朝に少し頭がすっきりしているという流れの繰り返しだった。
私にとっても大きな負担だったが、B子にも影響は大きかった。
最初の頃はB子を寝ぼけたまま車に乗せて試合に連れて行ったこともある。
E太の先輩の妹たちも来ていて、応援したり、持ってきたマンガを読んだりしながらおとなしく待っていた。
しかしB子はまだその頃観戦にも興味がなかったし、楽しいことは何一つなかったので、ほんの2,3回同行したが、それ以降は「行かない」と言うようになった。
私とE太が不在のあいだ、家でテレビを見たり、近所の子のうちに遊びに行ったりして過ごしていた。
近所に祖父母が住んでいるので、安全面での心配はあまりなかったが、それでもこの2年とちょっとは、私が週末まったく構ってやれなかったのがかわいそうだった。

<6月の空>

■竹やぶ事件

B子の歯が欠けたのは、そんな日々の果ての、E太の引退試合のあった6月のことだった。
B子は内心、放置した虫歯について痛くなるのが怖いと思っていた。
ところが、想像もしていなかった「歯が欠ける」という恐ろしい事態となってしまった。
恐ろしさのあまり、上半分がぽろっと取れたその上の部分を蓋のようにしてはめた。
これはさすがに、歯医者に行かねばならない。
こんな状態ではもうすぐ痛みも出るだろう。

これまでに歯のことで情報を集めるうち、大学病院で全身麻酔で治療する子もいると耳にした。
誰かが、自閉症や障害のある子も行くという県の治療センターを教えてくれた。
そこでも必要があれば全身麻酔での治療もできるらしい。
この時点ではまだ全身麻酔という選択肢は本気で視野には入っていなかったが、
とにかくB子のように難しい子は色々な子を診ているところでないと厳しいのだろうと思った。
また、そこでなら治療してもらえるだろうと期待した。
そこにかかるには紹介状が必要というので、知人に紹介してもらった歯医者さんをいったん受診し、県の治療センターへの紹介状を書いてもらった。
このときは、B子は診察室に入らず、待合室で口だけ開けて状態を見せることには同意した。

予約は数日のうちにとはいかなかったが、なるべく早めとお願いして、2週間くらいあとだったかな。
当時は焦っていたのでそれも遠いように感じたけれど、今思えば、まだまだ色々と序の口だった・・・。

県の治療センターへは、気の進まないB子をなんとか連れて行ったが、
助手の方の聞き取りで「はめてる欠片を外そうか」と促されたところで雲行きが怪しくなる。
確かにおっしゃるとおり、「飲み込んでしまったりしたら危ない」のだが、
この予約の日までもう何日も、B子はその欠片をそこにはめこんで保管していたのだ。
まるで、これが外れれば世界は終わりというような思い詰めようだった。
それで、助手の方が当初話を聞く際に「嫌なことは絶対しないから」ということでスタートしていたのに、欠片は外さなければならず、そこで不信感が高まったところからの、
診察室では「今日は何もしないよ、見るだけだから」と言いながら医師と助手たちが一斉に体を押さえ込んで診察台で無理やり仰向けの姿勢を取らせたものだから、もう完全にアウト。
診察室を出るなり、私が書類の受け取りなんかをしている間にB子はぴゅーっと外に走り出ていってしまった。
その勢いに嫌な予感がして、急いで駐車場に行ったけれど、車にはいない。
車の後部座席の足元かなんかにうずくまっているかなと期待したが、いない・・・。
呼んでも返事もない。
いったん歯科の受付に戻り、いなくなってしまったんですけど、戻ってないですよね(歯科に戻るわけがないのだが)、と訊いてみたら、助手さんが一緒に駐車場に行って探してくれた。
何分探しただろうか、10分だったか30分だったか。
駐車場の向こうの竹やぶからB子が姿を現したときは、心底ほっとした。
ここまでの表現をこの子がしたのは初めてで、
彼女にとっては、それだけのことをされた、ということだった。

ここも、二度と来られないだろう。
B子も私も、ぐったり疲れた。
それでも、がんばって来たんだから、何かごほうびを・・・。
そういえば診察室で医師が言っていた。「何かごほうびをあげるといいですよね。シールとか」

・・・・・・。

シールだって・・・。
あー。いやいや。

シールでだまされるような歳じゃ、ないんだよなあ!!
シールのごほうびで動いてくれるような子なら、こんなに苦労、してないよ!!
と、内心憤ったものだった。

海が近かったから「海、見に行く?」と走り出したが、
どうもぴんときてない。
「映画にしようか?」でやっと、乗り気になったみたい。
で、コナンの映画、見て帰った。
疲労困憊、治療は進んでいない。
出費は痛い。
歯医者に行くたびに映画を見るってわけには、いかない。
どうすんのこれ。

■本格的不登校の始まり

そんなすったもんだで、「歯の治療をしてもらうことすらできない」と自分を責め自信を失ったB子は、これをきっかけにぱったりと学校に行かなくなる。

もともとB子にとっては「小学校は一日目しか楽しくなかった」という話で、
花粉症がひどくなる2月くらいに鼻づまりとかゆみで寝が足りていなかったりすると朝起きられずに学校を休むということが2年生くらいからあった。
そんなにひどい体調不良でなくても、なんとなく行きたくないという日が年に何回かはあり、
「行きたくなければ休んでもいいよ」と言うと一日休めば気が済んでまた普通に通うという感じだった。
それまでは担任の先生も相性のいい先生ばかりだったので、その程度だったが、
5年生のその時期は、4年生からのもやもやと先生との相性の悪さと、極め付けが歯の問題で、
色々が重なって行かなくなった。
「死にたい」とも言い出した。
そこで私はあまりにほったらかしにしすぎたな、悪かったな、と思い、
今後しばらくはB子にしっかり向き合わなくちゃと心に決めたのだった。

学校に行けない、と学校に伝えると、「Bちゃんが?」と、驚かれる。
なんでだろう、と。
気が向いて学校に行ったときはまったく普通に元気にしてますよ、と。
朝は気が向かないので起きられない、行ってみればお友だちと過ごすのは楽しい、ということらしい。
かかりつけの小児科では、どのタイミングだったか、起立性調節障害ですねとの診断はいただいた。
聞き取りで、項目いくつか当てはまれば診断してもらえるのだが、
もっともらしい病名があるのは不登校の説明には便利だ。

学校を休んで、何をするかというと、
教育テレビの奇妙な歌の番組を見てすっかりその歌をマスターしたり、
思い立って縫ったり描いたりして作品を仕上げたり、
カスタードクリームをたくさん作って食べたり。
こちらが「やったら」と促したものをするわけではないけれど、
自分で決めてなかなか建設的な時間の使い方をしていたりもしたので、
まあ、それでいいんじゃないかなと。
それでも、私は仕事には行かねばならないし、だんだんB子のひらめきも減って、
昼間ひとりでテレビばかり見ていることになっていくようで、心配ではあった。

この続きは以下の記事をご覧ください。

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