息子がスマホ依存になるまで
息子のE太はスマホ依存だ。
元々、小さい頃からDVDで映画を見せると何本でも集中して見るような人なので、
こちらは警戒してゲームも与えなかったし、
スマホもタブレットも彼専用のものを持たせることはしなかった。
中学生までは私のスマホを使わせていた。
中3の頃は、クラスのみんなは使っているのに、
なぜ自分専用のスマホを持たせてもらえないのかと、いらいらしていた。
高校生になるときにはもうさすがにもたせないとも言えず、契約した。
私は高校生活が始まるまでに準備すればいいだろうと思っていたが、
彼としてはここまで我慢したんだから、と、
卒業式の日には自分のスマホを持っていたかったらしい。
卒業式の後の集まりや卒業旅行に自分のスマホを持たせてもらえていないことが
とてもひどいことであると感じていたようだ。
今思い出しても、あの頃の彼の黒い恨みのオーラはすさまじかった。
使用時間の取り決めなどの約束なんて、絶対にしない、うちは厳しすぎる。
約束したら守らなきゃならないからそもそも約束はしない。
溜めに溜めた恨みつらみで、契約したらあっという間にスマホのゲームにのめりこんだ。
親は通信機器として渡しているつもりだが、
子どもはゲーム機として受け取っているのだからかみ合わない。
順調だった中学生活から、新しい人間関係や生活のペースを組み立てなおすのは
彼にとって、他の人よりも負担が大きかったのだと思う。
対して、ゲームは必ず楽しい。
みるみる、予想通りにはまりすぎていくわが子を見るのはきつい。
注意しても、とがめても、泣いてもわめいても、耳に入らず、心に届かない。
折を見てからかったり笑い話にしたときには、ちょっと通じたと感じられる瞬間もある。
なんとかかんとか時間を約束させても、時間を過ぎたからと取り上げれば
私と、既に寝入っている娘の枕元に座って「返して~。返して~」と言い続ける。
それでも渡さなければ夜中に家を飛び出して、
時間をつぶすところもないはずなのに帰ってこない。
探しに行くのでこちらも疲弊する。
元々大抵は穏やかな性格なのに、スマホ・ゲームに関するときは目が三角になり、
短気で理性の抑えがすっかりなくなるようで恐ろしかった。
壁に穴も開け、果てはリストカットまで。
ここまでのすったもんだでわかったことは、
「正論」を押し付けようとしても無理で、こちらも日常が回せなくなるということ。
参考になるものを探して
スマホ依存について情報を得ようとするとき、
新聞記事などは、目線が他人事なので、
当事者が読んでも参考にならないことも多い。
「家族で話し合ってルールを決めましょう」とか。
うちの場合、それは不可能だった。
わたし自身、子どもにことばで伝えるとか
話し合うとかいうことについて、理想を持っていたので
実際の子育てを経験する前までは
「話せばわかる」と信じていた。
が、今ならわかる。
「通じないケースもある」。
どんなに工夫してもアプローチを変えても、できないことは、ある。
こういうとき、日本の教育の中で刷り込まれる「努力は報われる」というテーマは
罪深いと思う。
ちょうどWHOが「ゲーム障害」をギャンブル依存症などと同じ精神疾患と認定したことが話題になっていて、うちの子はこれだと思った。
状況打開のため試したこと
問題があったときにはひとりで抱え込まないことに決めている私は、
とにかく色々な人に話した。
息子も娘も、常々私が何かあったら誰かに話しまくる人だというのはわかっていて、
そこにあまり抵抗を示さないのも助かっている。
抵抗を見せてないだけという可能性もあり、私も絶対の自信はないけれども。
「タブー」はこじれの原因と思っているので
意識してタブーを作らないように子どもと関わってきたつもり。
その成果もあるかもしれないし、もともとの彼らの特性もあるだろうと思う。
それからかかりつけの小児科でも相談した。
そしたら、禁煙外来の資格のある看護師さんが息子と話をしてくれた。
依存症ということでいえば仕組みは同じだから、といって、
依存症の仕組みを解説したマンガも貸してくれた。
息子はマンガは好きだが、ゲームを取り上げられるとか
自主的に減らすなどということには魅力を感じていないので、
そのマンガを読んで納得するということは、もちろんなかった。
衝突で疲弊
私が何より嫌だったのは、日常生活に支障をきたすこと。
私自身は高校生になったら弁当は自分で、と言われ、
残り物を詰める程度だけど納得してやっていたので、
高校生になったら自立への準備を進めていくのだと、そんなイメージでいたところ。
彼の場合、お手伝いは、これまでよりもやらなくなり、ご飯に呼んでも来ない。
夜は寝なさいといっても「うーん(そりゃ寝るのは寝るよ)」くらいの生返事。
ゲームの世界では、
夜中の12時を過ぎた頃が強い人たちが出てきたりしておもしろくなるんだって。
それで日常が回ればいいが、当然朝は起きられない。
学校にさほどのモチベーションを感じられていないものだから、悪循環にはまる。
私は私で、
シリアなど、紛争地の子どもの理不尽な死が報じられていて、
何もできずにもどかしい思いを抱えているところ、
ただ楽しみのために銃を撃ちまくるゲームに
わが子がはまっていることに腹が立ち、
そして自分の抱える嫌悪感に至る情報や
想いを伝えられていないことがふがいなく、悲しい。
百歩譲って、ゲームはゲームと割り切るとして、
切望していたそれを楽しむのは構わないが、
日常があってこそのゲームでしょ、と思うのに、
実際は日常がゲームに削られていってしまう。
息子の中では、私はゲーム機を絶対買ってくれなかったくらいの人物なので
ゲームに対してまったく理解がない、
自分の好きなものを全否定してくるというような決め付けもあり。
私だってマンガやアニメにはまっていた頃があって、
まったく理解できないわけじゃないんだけど、と呟いても届いていない。
私も同じゲームを試してみたら話が通じるかもねなどと思うけれども
生活に余裕がなさすぎて試すこともできない。
そんな風に、息子の特性と思い、私の理想や思い込みとがぶつかりあって、
お互いにほんとに疲弊した。
そこから、これじゃ心も体も持たない、ということでまた試行錯誤。
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